私が看護師を辞めたワケ
こんにちは!どんちゃんです。
私は元看護師なのですが、看護師を辞めるきっかけなどは書いていなかったなと気づき、Instagramにあげている記事を再編集してブログ記事にすることにしました。
私自身看護師だったこともあり、今私のもとには「働くことに疲れた看護師さん」がたくさん訪れます。
きっと何十年も医療業界の働き方は問題視されてきていて、その結果妊娠中の夜勤免除や軽減ができる病院も増え、フレックスタイム制を導入している病院も目にすることが増えてきたようには思います。
それでも、今働いている看護師はとても疲弊している印象です。
お金?休日?看護の時間?
それらも必要なことではありますが、すぐに取り組むには難しい。
なので私は「マインドを変えること」を教えています。
まずは、私が看護師を辞めたワケについて記事を書いていくのでどうぞお付き合いください。
私が看護師を辞めたワケ
看護師を辞めたい
「看護師を辞めたい」
そう思う看護師は少なくない。
私もその一人だ。
私は看護師を辞めた。
看護主任(代理も含めて)になって4年目の夏だった。
退職を考えたのは一度ではない。
これは、多くの医療従事者がそうではないかと思う。
労働条件(休日出勤、夜勤、残業、早朝出勤)は私が入職した頃よりも劇的に改善したが、決して現代の働き方とは言えない。
子どもが生まれてから私自身も、自身の働き方について葛藤するようになった。
「看護師は続けたい」
「できるならこの病院で」
「でも子どもを置いての夜勤はしんどい」
私の場合、夜勤で子どもと離れること自体はあまり辛くなかった。
それよりも、当時は子育てに非協力的だった夫が、娘の面倒をみれていない状況にしんどさがあったのだ。(実際電話をしたら、1歳半の娘に怒鳴りつけていることもあった)
泣く娘にこれ以上寂しい思いをさせたくない(私自身母子家庭で育ち、幼少期に寂しかった思い出がとても多いこともあって)「夜勤を辞めたい」と師長に相談したのが最初だった。
まだ、娘が2歳にも満たないころである。
私はその頃すでにサブリーダーからリーダーに上がるか、という頃で(リーダーになったのが28歳)、師長からは「今は無理よ」の一言で片付けられてしまった。
他のスタッフが退職したり、育休に入ったり、夜勤ができないと異動していく中、私は葛藤を続けていた。
「もっとこの病棟で力を発揮したい」
「でも、夜勤はやめたい」
チームリーダーから病棟看護主任へ
私が最後に働いていたのは緩和ケア病棟だった。
開設から関わらせてもらい、準備室時代から頑張っていた先輩を尊敬していたこともあり、仕事はとても楽しく充実していた。
リーダーになると、自分の母親よりも年齢の高い人にも容赦なく意見をぶつけ合った。喧嘩ではないので勝ち負けでもない。
ただ、「あなたが楽に仕事をする方法ではなく、目の前の患者の苦痛を取るためにできることは?」と何度も何度も聞き返した。
それからチーム会議では「できない理由は聞いてない。できる方法を言ってくれ」というようにしていた。その代わり、日頃溜まった鬱憤などは、夜勤中や休憩中に積極的に声をかけて聴くようにした。
多分、私を面倒なやつだと思っていた人も多いと思う。私もこの性格を面倒だといつも思っている(笑)
そんな中、私にとっての朗報が入った。
「病棟主任にならないか」という提案だった。
元職場は、主任は夜勤がなく管理者となるため、ほぼカレンダー通りに仕事ができるのだ。
チームから一旦離れることは名残惜しかったし、「チームを抜けて欲しくない」と言ってくれるスタッフもいた。私自身、こんなにありがたいことはないと思いながらも複雑な心境だった。
しかしもっと病棟全体のことを知りたいと思うところもあり、チームから離れても変わらずに病棟を盛り上げていこうと思い、看護主任になった。
看護師は簡単に辞められない
看護主任になった当初は、チームメンバーとの距離感に悩まされた。
それまでは、自分が中心となってチームをまとめていたという感覚だったし、患者に直接関わる中でみえてくる課題を共有することができた。
しかし、主任になってからはもっと客観的に病棟全体を見なければいけない。
「水谷さん前よりよそよそしいよね」
「やっぱり上に行ったらそうなるんやね」
そんな風に言われることも少なくなく就任3ヶ月頃はとても苦しかった。
何を目指せばいいのか、何を求めて、何を待てばいいのか。
結局は「好かれることをやめる決断」と「嫌われる勇気」が最重要で、それができるようになると不思議とメンバーとの関係性もよくなったように思う。
私は、当初2017年3月末で退職するつもりだった。
主任になったことでカレンダー通りの勤務にはなったが、主任業務は思った以上にハードで、表向きは土日休み・夜勤なしだが、結局土日は県外の出張や会議で潰れることが多く、年度末などはほぼ毎週何らかの会議や出張で家を空ける状況だった。
さらに、主任から上の者は残業手当が付かないため結局仕事を持ち帰り、夜勤は急遽代わりに出ることもあり、スタッフの見えないところで相当仕事を抱えていた。
あとは、「上司の機嫌を取る」という謎のタスクをこなすことにも嫌気がさし始めていた。
こういったことが理由で、私はおおよその退職時期を決め、そのつもりで師長にも伝えていたし、当初まだ1年以上あるからゆっくり引き継ぎをしようと思っていた。
けれど、現実は甘くなかった。
私の退職の話は、いつの間にやらフワッと流されていたのである。
やるな師長め…、と思ったかどうかはさておき。
この「退職できない問題」は私に限った話ではない。
慢性的な人員不足に陥っている病院や施設において、職員の退職は大きな痛手である。
それは主任になってから経営についても学んでことである程度理解していた。看護師が1人減れば1人増やせばいい、という問題ではないからだ。
とにかく、私の退職の話は何となく曖昧になっていた。
そして退職の話をした師長から別の師長に変わることになった。
ただ、新しい師長は先輩であり緩和ケア病棟をともに支えてきた仲間である人だったので、私は新師長を支えるためにもう一年頑張ることにした。
彼女は初めての師長だったし、投げ出す形で退職するのは嫌だと思ったから。なので、結果的に退職の話が曖昧になっていたのはよかったのかもしれない。
彼女には早々に退職の意思を伝えていた。しかし、できる限りのサポートはしようと心に決めた。
2017年春、私が決めた看護師としての最後の1年間が始まった。
娘の小学校入学と退職理由
新しい師長と尊敬する主任と新たなスタートを切り、「病棟をもっとよくしよう」という気持ちで日々奔走していた。
そうこうしていると娘が小学生になった。学童に預けたかったが、親が同校区内で住んでいること、夫も親も会社員でなく自営業であるために入会は難しいだろうと言われ、肝心の娘も嫌がり、夫と相談して夫の職場へ毎日帰宅するようにしていた。
私自身学校嫌いだったので娘が学校に行きたくないと言い出したときは、内心「ついに来たか…」という心境だった。
毎日毎日辛そうな顔をする娘に、少し口調を荒げながら「早くしなさい!」というのはとても心苦しかった。
なぜなら、それはかつて私がとても「嫌だ」と思っていたことだからだ。
暗い顔をした娘を見送ってから出勤するのはとにかくしんどかった。
私が本当に「看護師を辞めたい」と思ったのは、これが一番大きい。
看護が嫌いなわけじゃない。
けれど、娘の母親は私しかいない。もしかしたら私が家にいることを、いつか娘は鬱陶しく思うかもしれない。
「私のママは看護師なんで!」と得意げに話していたから、家にいる私を隠したがるかもしれない。
「ママが家にいたらどう?」娘に聞いた。
「ママが家にいてくれたら嬉しい。お店(夫の)に帰るのも嫌なんよ。階段怖いし、ゆっくりできんし。ママと宿題したい。遊びたい。」
私はそれまで「今年の冬まで…」「来年の春まで…」と何となく退職時期を伸ばし伸ばしにしてきたが、「夏休み前に退職しよう」と決断し師長に正式に退職届を提出した。
私が看護師を辞めた日
私はしんみりとした雰囲気がどうも苦手な性分で、明るく去りたいと思っていた。
なので、退職の理由は「某高額パーソナルジムにコミットしてくる」とみんなに伝えていた。
その甲斐あって最後にもらった寄せ書きの9割が「ダイエット頑張ってください!応援しています!」で笑ってしまった。ありがたいメッセージである。
その頃、退職が近づくにつれ自分の中で焦りが芽生えていることに気が付いた。
私がこの病棟で残せたことは微々たるものだが、それでも「私がいなくても大丈夫」な状態にしなければ、という焦りがあったのだ。
主任業務の一覧を何ページにもまとめ、焦るあまりリーダーに強く言いすぎて泣かせてしまい凹む。
しかし結局は仕事は次から次へとやってくるし、完璧な状態は退職までやってくることはなかった。笑
最後の出勤日、朝から大量に持ってきたお菓子を各部署に配って回った。「えー!?今日で最後ー?」とか色々言われながら、そのあとに控えた送別会に間に合わせるため、ほぼ投げつける形で配り終える。
たくさんの方からお花や寄せ書きをもらったが、正直全く実感がなかった。
私がこの病院を去る日が来るなんて。
13年前には「この病院で総看護師長になります!」と大口を叩いていた青かった私が。笑
送別会でも相変わらずしんみりした雰囲気にはならず、最後の一言も感動させられる言葉の一つも浮かばず(文章だとスラスラ書けるのに、かしこまった場での喋りはキレが悪い)、聞いていたスタッフから「えー!それだけー!?」とブーイングを受けた。
しかし、そのあとにあるスタッフからの言葉で私は号泣することになる。
「明日から病棟で会えないのが寂しいです。」
そっか、確かに。私はもうあの職場に白衣を着ていくことはないんだな。
それならもっと噛み締めて白衣を着たらよかったな。
え。そっか。
もしかしたら、ここにいる人たちと会うのも今日で最後だったりするのかな。
退職ってそういうことだもんね。
そっか。
そっかぁ。
ああ、確かに寂しいな。
そんなことを考えながら、私は次から次へと溢れる涙をハンカチで拭った。
自分で決めた。納得して決断した。
それでもこんなに寂しいものなんだな。
2018年7月、私は看護師を辞めた。
退職してからすぐにハローワークに行ったり、国保の手続きに行ったり、なんだかんだと忙しい日々が過ぎて、ようやく落ち着く頃にはもう夏が終わろうとしていた。
娘は相変わらず休みがちではあるけれど、一緒にいる時間が増えて嬉しそうにしている。
なんなら夫もとても嬉しそうである。
あとがき
こんなことを言うと不思議がられるのですが、私は看護師という仕事は大好きです。
もし、その時の給料+10万円・子どもと過ごせる働き方が叶っていたら辞めなかったかもしれません。
ですが、辞めたことを後悔したことは一度もありません。
起業は自分とどう付き合うか、の連続。
いつ仕事をするか、いつ休むか、どのくらい稼ぐか、全て自分で決めなければなりません。
なので、いつも自分と対話の連続です。笑